我輩は百合豚である~序~
我輩は百合豚である。
もし僕が夏目漱石の末裔なら、絵本にしてたかもしれない。
僕が今少し心配なのは、百合豚がはてなキーワードに載ってるかどうかだ。一番の理想は、百合豚というワードに下線が引いており、タップするとリンクに飛ばされることである。僕ははてなブログさんを信じて、百合豚というワード解説を省略する。
ではなぜ僕が百合豚になってしまったか。
この歳になって、学園モノのストーリーや恋愛コメディを見てると、自分の立場に振り返った時に泣きたくなるからである。作品を視聴している時は楽しいが、完結したときに
「あれっ、自分、あっ、、あ、、」
と12話分のクソデカパンチをくらうことになる。
物語は創作物なので、現実ではないとわかってはいるが、その物語のモチーフはほぼ現実に近いものだ。SFやファンタジーなどは現実とかけ離れているので劣等感はないが、先程のジャンルはそうはいかない。僕より下の歳の奴等が思う存分イチャコラセッセセとやってるのをみると、急に世界が70億人以上いるのに孤独を感じてしまい、若干の賢者タイムに突入してしまう。
中学生僕「学園モノすこ!高校生なりたい!」
高校生僕「サークル憧れる!大学生なりたい!」
大学生僕「あれ今日誰かと会話したっけ」
と見事なボッチ列車の特別急行である。
そんな僕が百合に出会い全てが変わった。
百合の世界に男なし、ゆえに劣等感なし。
女の子同士、何の文句もなし。
素晴らしき花園の開園。
我思うゆえに百合あり、だがそこに我必要なし。
地球は青かった、だが神はいなかった、しかし百合はあった。
もはや宗教。